メンタル脆弱なひきこもり

日々を綴っていきます。

私のHSPについて

昨日は雨でしたが、気晴らしと暴露療法的な意味合いでとても久しぶりに出かけてきました。雨の中、沢山の人でした;

雨だからといって、油断なりません! 給付金も出始めてるのもあるのかな・・・

動物好きなので、動物園に行ってきました。

最初は、「みんなカワイイな~。」と癒されていましたが、ふっと気が付くと途中から人が波のように押し寄せてきます。

内心ビクビクしてきて、心身ともにすり減っていくのが自分でも分かりました。

子供の雄たけび、(動物よりすごい!)人々の雑音etc…

そうなると、もう動物どころではなく(涙)

あまりの混み合いっぷりに、気を吸い取られていきましたorz

緊急事態宣言が解除された。というのもあるのか、そこは密集!!!!でした。

マスクはしてる人やしてない人まで様々。

パーソナルスペースも何もありません。もう、すれすれ、ギチギチ(>_<)

トイレに行こうと思ったら、間違えて多目的トイレを開けてしまい、そこに幼女が入ってて「ごめんね;」と言って慌てて閉め、そこで疲れが加算され・・・

(その、ごめんね も小声だった為、恐らく聞こえてないだろう)

その子も恥ずかしかっただろうに、こっちまで恥ずかしくなってきて・・・最悪・・・

結局、ショーやふれあいは並んでたし、待ち時間もあったので、それに耐えられる気力が残ってなかったので帰りました。

気疲れMAXハート!な1日でした…

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以上が、HSP気質のとある一日の日常でした。

前置きが長くてすいませんm(__)m

ここから本題へ!

HSPについて

HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、英語でHighly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。
HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、生まれ持った性質であることがわかっています。敏感気質の人と定義付けるには、4つの特徴を持って判断されます。

HSPの4つの種類

D 「深く考えをめぐらせる(Depth of processing)」

  • 一つの事を深く考えすぎてしまう
  • 物事を深く掘り下げ知識が広い
  • お世辞や嘲笑など周りの態度を見抜く
  • 物事を考えすぎてスタートまでに時間が掛かる
  • 哲学的な事に興味がある

O過剰な刺激を受けてしまう(Overstimulation)」

  • 人混みや大きな音が苦手で気疲れしやすく、帰宅するとどっと疲れやすい
  • 芸術作品に感動して泣く
  • 人の些細な言葉などに傷つきやすく忘れない
  • 過剰に反応し驚く

E 「感情が動きすく共感もしやすい(Emotional response and empathy)」

  • 人が怒られていると、自分のことのように感じ傷つく
  • 感情移入しやすい
  • 人のちょっとした、声、目線、仕草など態度に敏感で、感じ取りやすい

S 「些細なことにも敏感(Sensitivity to subtleties)」

  • 大きな音や、たばこのニオいや、強い光などに反応し苦手
  • カフェインや添加物に敏感
  • チクチクしたりする素材感が気になる
  • 第六感が働きよく当たる                                                                                                                              ※これらの特徴は、頭文字をとって「DOES」と呼ばれます 

大体に当てはまっていればそうです。

私は、ほぼ当てはまり帰宅してからHSP診断を改めてしたら高レベルでした…

何とも言えない気分です。

HSP診断は、こちら から!

 

 

醜形恐怖症

非常にどうでもいいことですが、我が家にもやっとアベノマスク届きました!

といっても一週間程前になりますが…w

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さてさて、

タイトルにもあるように私は長年この強迫観念?に取りつかれています。

何故そうなってしまったのか?

遡っていくと発見がたくさんありました。

醜形恐怖とは?

低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状であり、実際よりも低い自己の身体的なイメージが原因です。

思春期になり自己意識が芽生えはじめる頃に発症しやすく、自分の思っていた姿と本来の自分の姿に差が大きくあることに気付き劣等感を抱き悩み始めることからはじまっていきます。
男女比に差はなく醜形恐怖は、自身の身体の至る部分に偏ったイメージを持っていて鏡で見た自分の顔や容姿を、何度も鏡で確認します。

『この髪型変じゃないかな?』

『今日も自分不細工だなぁ。どの角度が一番マシかなぁ』

酷い時は、自分の容姿をみたりどこかに写るだけで気持ち悪くなり、自分自身はなんて醜い存在なんだ!そうだ、自分が他人から嫌われるのは容姿が原因なんだ!という思考に陥ります。

出時は自分の顔・容姿のこだわっている箇所を他人と必死に比べようとします。

カメラや映像に撮られたりするのを嫌がります。

それは、自分自身の醜い姿を記録したくないのと、仮に撮られていたとして後で見返した時、憂鬱な気分になるからです。

なので、外出時などは鏡など反射するものを避ける傾向にあります。

そして、就職時用の証明写真を撮るのも苦痛、そして面接するのも。

とにかく他者から不細工=不快と思われているという観念が強いので人目が余計気になりやすいのです。

かの有名な故マイケル・ジャクソンもそうだったといわれています。

彼は昔は可愛いとよくいわれて育ちました。ですが大人になるにつれ自分の容姿は変わっていきます。そこで彼は、ギャップを感じたのでしょう。整形を繰り返していきます。

実は私も幼少期によく、差ほど可愛くもないのに「○○ちゃんは、可愛いね!」などと同級生や近所のおばさんやお姉さんにいわれていました。

ですが、それは小学校低学年までで、成長したらいわれなくなり、近所の幼馴染の兄から 不細工とまで言われるようになり…

実際 可愛いといわれ、そうだ!と勘違いをして横柄になっていた部分もあるので思春期になり過敏になった事でやっと気づけた!という見方もできますねw

それからが大変で美醜に囚われ続け、マスク、帽子、サングラスで外出時は顔を完全に隠しておりました。そしてサングラスから伊達メガネになり、最終的にはマスクのみで外出時は顔を隠すという始末…

化粧をしても不細工なので詐欺メイクには限界を感じ、夏はマスクを外さないといけないので地獄でした。

職場では、マスクOKの所か、別に気にしない(でも自分は気になる)所に行き、何とかしのいでいました。(苦行でした)

前向きに考えれば今、コロナでマスクの時代がキターーーーーーーーー!!!! というカンジです(汗) 

不用意な発言すいませんm(__)m

原因

原因としては、うつ病強迫性障害との関連が挙げられる。また自臭症などと並んで、統合失調症の前駆症状として現れる場合も多い。あるアメリカ人の研究者は「醜形恐怖強迫性障害の仲間に入る」と述べている。また実際、醜形恐怖は脳内の神経伝達物質であるセロトニンを増加させる薬に反応するという報告がある。人とのコミュニケーションを上手く取れないため対人恐怖や劣等感に陥り、その感情を外見の劣等へ形を置き換える事で、無意識的にバランスを取っている側面もある。自己へ自己へと意識が集中しすぎ自身で、完璧なこうであらねば、という枠組みを形成してしまうのが根底にある。外界(他人)への意識を拡大させると共に、自分への美醜のこだわりより先に対人スキルを含む内面・精神に対する誤った認識の確認、再生、充実が結果的にこれらの強迫観念を解決させる一助になりえる。

 まとめ

ものの見方は人それぞれ自由です。

私は十数年前、美容整形を考えていました。リスクとお金で諦めたのもありますが、その時、美容整形外科まで行きカウンセリングを受けました。そしたら、担当医が「そこまで、酷くないですよ?それより心のケアが必要ですね。」と仰られました。私的には、『えぇ!?こんなに酷いのに?』と内心思っていました。

ですが、数年経って分かりました。

誰しも見た目で判断してしまうのは仕方ない、でも大切なのは心だと。

見た目ではなく、心の友を作っていくのが良いと!

見た目で友人や恋人になると、心までみるか?それは上っ面の付き合いになるんではないかと考えはじめ、

私は、本当の人間関係が欲しい!!だから、ありのままを受けいれてくれる人と付き合うんだ!と決めました。そう思うようになってからは、やはりまだ恐怖心はありますが少しだけマシになりました。

 

SNS問題

こんばんは!

段々暑い位の日差しが差し込む季節になってきました。

ですが、どこか涼しい風が吹いてて何だか不思議な季節ですね。

私といえば、風が肌寒くて鳥肌が立ってますww

後は、地震も各地で所々あるみたいで、寝てて地震があるとやはり反射的に驚いてしまいます(汗)

本日は、今世間で問題になっているSNSの誹謗中傷問題について書いていきます。 

SNS

元KARAのク・ハラさんもそうだった様に、次はNetflixの配信や某有名TV番組に出演されていた木村花さんという方が急逝されました。

その番組は、名前は知っていましたが特に興味もなく観ていませんでしたが…💦

ニュースで話題になっているのをみて初めて彼女を知りました。

無知ですいませんm(__)m

彼女は生前、「愛されたかった人生でした。」とインスタに投稿していたみたいですが、彼女は愛されていたと思います。でも、心のどこかで満たされない何かがあったのでしょう。そこが、満たされていたらまた状況は少し変わっていたのかもしれません。

SNSでそうした問題に直面して困っていらっしゃる方はやはり多いと思います。

誹謗中傷は、自分の存在を否定される事ですから、何気ない言動や行動に意味はなくても叩かれてしまう事もありますし。

とある掲示板に書き込まれた経験が私の友人にありました。

その荒れ模様は凄かったです。友人は、自ら反論し書き込みを続け、そしてターゲットは次第に変わっていきました。

時が立てば飽きて、新たなターゲットをみつけ又陥れる。それが、書き込む人々なのです。

私自身、今現在SNSはラインとフェイスブックしかやっておりません。

それも、ほぼ放置とか見る専門になりました。

返事が来たらたまに返す。というカンジです。(全くごくたまーにしか来ませんw)

何故そうなったか?というと、過去にSNSでトラブルをおこして心が疲弊し疲れてしまい、元々の気質と病にプラスしてどんどん病んでいったからです。

常に、泣き叫び情緒不安定になっていました。

そういった状態にしたのはSNSでした。

mixiTwitterをしていた時に、急にブロックされたとか外されたとか、何故?ってなり

分からなくて、不安でどうしようもなくて…

ラインの返信なども、気を使っていました。既読スルーされる事を恐れていました。

私は、SNSに憑依され依存していたと思います。

ですが、今思い返せば全て自分自身が招いていたことに気付きました。

何気ない、自分の発言や行動がフォロー外した人からしたら嫌だったのでしょう。

今はそう、スルー出来るようにまで回復しました。

必要最小限に使用しあまり干渉しなくなりました。

気持ちが吹っ切れたのか諦め癖がついたのか;

でも、丁度いい距離感というものが人間には必要で、俯瞰して遠くから自分の置かれている状況をみれるようになれたら理想的です。

近すぎず遠すぎない適度な距離感が必要です。

ネットは匿名性なので、近い気がします。だから、使用しやすい。

違う自分になれて、はけ口がはけやすい密閉し密集した所だと思います。

悪い意味で使用するのではなく、良い意味で使用するのが一番です!

 最後に

とてもお綺麗でまだ20代前半で、人生これからという時にこんなことになってしまい非常に残念でなりません。生きて悩んでる子達に、大丈夫、輝けるんだよ!っていうキラキラした姿を見せて欲しかったです。

本当はとても繊細で良い方だったのでしょう。だから、真摯に受け止めてしまった。

悔やんでも悔やみきれません。

謹んで心からお悔やみ申し上げます。

 

場面緘黙症

またもや、お久しぶりです;

やっと、落ち着いてきたので更新を再開していきたく思います。

さて、私は幼い頃困っていたことがあります。それは、場面緘黙(ばめんかんもく)

では、どんな症状でどうしたら治まっていくのかを綴っていきます。

場面緘黙症とは?

これは、家では普通に家族と会話出来るのに、学校など特定の場面で話せなくなってしまう症状の事で、幼少期に発症する事の多い不安症の一種といわれています。

比較的、大人しく特に問題行動のない子供が発症しやすいといわれています。

私の幼少期の経験では、知らない大人にも人見知りをする様な子でしたから、知らない場所や人に話しかけられたりすると、緊張してしまい普通に話せなかったり笑えず表情が無くなってしまう。苦手なクラスメイトによく「話してみて?」と言われ話そうと試みるも、余計喉が渇き口も動かせず困っていました。一番困っていたのは、そうやってからかってくる苦手なクラスメイトでしたがwですが、気心の知れた人、仲の良い子とは普通に話せるし笑ったり出来ます。自分でも、何故周りの皆みたいに上手く話せないのか?不思議でした。普通に話したいのに話せない。外出すると、親に「表情がない」とその当時よく言われていました。その当時の私の外での表現方法はエスノーで首で表してました。もどかしいジレンマです。この症状は思春期まで続きました。

場面緘黙は周囲に中々理解されず、一人で自責の念にかられ心身に影響を及ぼしていくこともあります。子供は、学校でそうした状況に耐えきれなくなり、人間不信から不登校やひきこもりになっていくケースもあります。また、子供の頃発症して見過ごされてきた人などが、大人になっても持続されていることもありその場合、二次的問題でうつに発展しやすい状態になります。大人になると、社会生活で支障をきたしてしまうので早めの診察と対応が必要です。

原因と発症

明確な理由などはまだ詳しく分かっていませんが、主に不安になりやすい、緊張しやすい方が子供や大人どちらも多い様です。子供の場合は、入園や入学。大人は就職。転居や転校、環境の変化により不安感が高まって発症するケースが多いようです。

   以下は、種類です。

 場面緘黙は症状によって次の5つのグループに分類されます。

① 場面緘黙傾向
② 純粋な場面緘黙
③ ことばに苦手がある場面緘黙
④ 複合的場面緘黙(発達的問題や心理的問題の合併)
⑤ 遅発発症の場面緘黙(学校での孤立やいじめによる発症が多い)

 

治療

子供の場合はまず、園や学校の先生(これは、あてになるかは分かりません)ですが、相談してみる価値はあります!スクールカウンセラー、発達センターや教育センター、心療内科クリニックもあります。色々当たってみて、自分に合った良いところをみつけましょう!大人の場合は、心療内科クリニック、精神科に行きます。

場面緘黙は、「専門家だけで治せる症状」ではありません。
家庭と学校が協力して、まず「安心できる環境」を調整することが最も大切です。研究では、不安が低い場面からスモールステップでチャレンジを進め、活動参加、動作、発話ができる場面を増やしていく行動療法的アップローチが最も効果的とされています。「家庭での会話」を「学校での会話」へと段階的に広げていく取り組みです。人との楽しい交流体験や、何かができるようになった経験をたくさん積んで、自信をつけていくことが大切です。

そして、理解者を周りに増やし、交流会、当事者会で交流していくことで情報交換や共有をしながら一歩づつ成長していきます。

※不安感が強い場合は、SSRI系の薬を服用する事もあるようです!

●家庭を含むすべての生活場面で話せなくなる状態を全緘黙といいます。ショックな出来事の後に急激に全緘黙となった場合は、「トラウマ性緘黙」といって急性のストレス障害であり、場面緘黙とは異なります。
●「失声症」は、ある日突然声が出なくなる症状ですが、思春期や更年期の女性に発症が多く、場面緘黙とは異なります。
●「けいれん性発声障害」は、声帯の過緊張と声門の過剰閉鎖のために、声がとぎれとぎれとなる発声障害で、場面緘黙とは異なります。
うつ症状のために全般的に会話意欲が失われている場合は、場面緘黙とは異なる対応が必要です。
●家庭で身体的虐待や精神的虐待がある場合、場面緘黙や場面緘黙に似た状態を示すことがあります。この場合は、家庭への福祉的支援等が必要です。
●場面緘黙への対応や支援が十分でなく、緘黙の範囲が広がって全緘黙の状態となることがまれにあります。

吃音や言葉の理解、言語表現について、ことばに苦手がある場合は、言語面への支援が必要です。
ASD やLD、ADHDをあわせもつ場合は、それらへの理解や支援が必要です。

 まとめ

 自分自身が変だなぁ、そうかも!と思ったらまずは、専門家を早めに受診しましょう!

とても気持ちが分かったので張っておきます。


【場面緘黙症】「緊張して言葉が出ない…」「”あ”って言ってみて」悔しい日々を語る…|#アベプラ《アベマTVで放送中》

社会不安障害           

 最近は、いやいつもですがぼーちゃんな私ですw
 
社会不安障害とは?(私の場合) 主な症状としては、
 
  • 人が怖い(対人恐怖)
  • 他者の視線が気になる、悪口を言っている用に思う(視線恐怖)
  • 他者の顔色を伺いながら行動する
  • 他者が自分の事を嫌っていると感じる
  • 自身の容姿が醜いから嫌われるていると感じる(醜形恐怖

大体、今現在はこのような症状があります。

身体的な症状は、緊張するとお腹が痛くなる位です。

後、緊張しすぎると唾をどのタイミングで飲み込んでいいのか分からず唾液が溜まります。(私だけでしょうか?;)

私の場合、全般性だと思います。

社会で生きていく上で早いうちから支障が出てしまい今や立派な社会不適合者です。

HSPの気質と回避性パーソナリティ障害もあり、嫌な事があると理由をつけて逃げるという卑怯な癖が幼少期より染み付いております。

なので、新たに人間関係を築くとかなりの確率で破綻します。ほぼ絶縁状態ですね。

 

 回避性パーソナリティ障害

自分は社会的に不適格で魅力に欠けていると考え、笑われること、恥をかくこと、排除されること、嫌われることを極端に怖がり、そのために、社会的な交流を避けようとする傾向をもつ。自分は孤独者であるとし、社会から取り残されている感覚を訴えるのが典型である。通常、成人期早期に自覚され、子どもの頃に、親、または(複数の)友人から排除されたことと結びついても考えられている。しかし、小児期の気質からも考えられている

症状

APDの患者は自分の欠点にばかり注目しており、「自分が排除されることは決してない」と思えたときだけにしか人間関係をもとうとしない。喪失や排除の体験は過去の経験により彼らにとってあまりにも辛すぎるため、人と繋がるようなリスクを冒すよりは、むしろ孤独を選ぼうとするのである。

 

  • 非難や排除に対する過敏さ
  • 自らすすんで社会的孤立を選んでいる
  • 親密な人間関係を熱望していながら、その一方で、社会的な場面においてはあまりにも引っ込み思案である
  • 他者との交流を避けようとする
  • 自分なんかふさわしくないという感覚
  • 自尊感情の低さ
  • 他者への不信
  • 極度の引っ込み思案、臆病
  • 親密さを求められる場面でも情緒的な距離を置いてしまう
  • 非常に自己意識的(=いわゆる自意識過剰)
  • 自分の対人関係の問題について自分を責めている
  • 職能上に問題を生じている
  • 孤独なる自己認識
  • 自分は人より劣っていると感じている
  • 長期にわたる物質依存/乱用
  • 特定の思い込み(fixed fantasies)に囚われる。

 

 

原因

APDの原因は明らかになってはいないが、患者の中には、過去に親から虐待や過度な非難・排除を受けてきたり、友人からのいじめを長期的に受けてきた者が多い。

他に、家庭環境、また、社会的、遺伝的、心理学的な要因が複合的に影響している可能性、遺伝的な気質要因に関連している可能性が考えられる。とくに、小児期・青春期におけるさまざまな不安障害の存在が、「引っ込み思案」や「臆病」や「新しいことに対して尻込みする」などの特徴をもつ気質と関連づけて考えられている

APDと診断された人の多くが、幼い/若い頃に、長期にわたって親からの非難や排除を受けつづけた辛い経験をもっている。排除的な親と繋がりたいという一心から、彼らは関係性を渇望するが、繰り返し非難を受けるうちにやがて、彼らの願いは徐々に「防衛的な殻」へと変質してゆくのである

    ↑の方が恐ろしい位かなり当てはまっている。

   診断こそ、社会不安障害ですがまだまだ出てきそうです(涙)

 

  治療

社会不安障害の治療の中心は、薬物療法と精神療法(認知行動療法森田療法です。薬物療法としては、最近はSSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬デプロメールルボックスパキシルジェイゾロフト、レクサプロ)が中心となっております。SSRIは従来の薬物と比較して副作用も少なく、服用開始時の胃腸症状(吐気、胸やけ、下痢など)、眠気が主です。

また、ベンゾジアゼピン系薬物(ソラナックスデパスワイパックスレキソタンなど)を主とする抗不安薬も、即効性があるため使用されます。特にクロナゼパム(リボトリールランドセンなど)は、以前から有効性が確認されています。ベンゾジアゼピン系薬物は対症療法的であり依存性の問題もありますが、長時間作用型のクロナゼパムは離脱症状(薬剤を急に中断した時に現れる心身の不快な症状)をきたしにくく、依存性も比較的弱いことから長期の服用も可能と考えます。

SSRI効果が現れるまでには、早くて2週間、通常は4週間かかります。また効果が現れて症状が軽くなっても、その時点から、さらに6ヶ月から1年以上は再発を予防するためにも服薬を継続することが必要です。

 ※私自身、パキシルデパスを約10年位服薬中ですが飲み始めは副作用が酷かったです。主に身体のダルさや眠気、吐き気などありました。

服用を続けている内に、身体が慣れてきたのか治まってきましたが、飲み始めと途中でしんどいから急に服用しなくなると離脱症状が凄い薬です!!

なので今後、減薬していきたく思い担当医と相談中の身です。

 認知行動療法は、環境刺激であるストレスとその反応である感情・認知(思考)・身体(自律神経)・行動の変化との相互作用を検討して、精神障害、ストレス反応において生じている悪循環を断つことにより、症状の改善や問題の解決を図ろうとする治療法です。人間の反応の中で、感情(不安、緊張、恐怖など)身体(動悸、発汗、赤面、ふるえなど)の反応は、症状の中心ではありますが、意識的にコントロールすることが困難です。認知行動療法は、意識的にコントロール可能な認知と行動に働きかけて修正することにより、ご自身がおかれている悪循環を断つことによって、感情や身体の反応を含めた症状を相互作用的に改善しようとするものです。社会不安障害認知行動療法では、不安や恐怖を引き起こす刺激(社会的状況や行為)に段階的に直面(曝露)させていき慣れさせて回避を軽減させる‘段階的曝露療法’が中心に行われます。その準備として、不安・緊張時に過呼吸による症状の悪化を防ぐために呼吸を制御する‘呼吸訓練’や、不安症状を中和するために行なう‘リラクゼーション訓練’を行います。さらに、不安や恐怖のもとにある「人前での自身の振る舞いや身体的な反応が、必ず否定的に評価され、重大な結果を招く」という誤った不適応的な考えを見つけて、現実的・客観的に否定して適切な考えに置き換える‘認知再構成’が組み合わされて行なわれます。
 従来より不安障害を中心とする神経症に有効な精神療法として森田療法があります。森田療法は、森田正馬によって創始された治療法であり、森田神経質(内向性、過敏、心配性、理想主義、完全主義など)という性格傾向から発展した神経症社会不安障害パニック障害強迫性障害など)を対象としたものです。この神経質を基盤とする社会不安障害の患者様は、対人場面において理想主義、完璧主義から「より良い自分でありたい」という欲求が強く、その反面「恥をかいてはいけない」という恐怖をいだきやすいのです。また、その内向性から、「緊張してはいないか」と自己の内面や身体的変化に注意が向きやすく、理想主義、完璧主義から、誰でも起こりうる不安・緊張や、赤面、発汗、ふるえなどの身体症状を特別なものととらえることで、さらに注意を向けることとなります。注意すればするほど不安・緊張、身体症状に対して過敏となるため、注意と、不安・緊張の悪循環をきたして不安・緊張症状がますます増大してしまいます。すると、今度は「恥ずかしがってはいけない」と恐怖し、不安・緊張症状を除去して楽になりたいとやりくりしますが、本来、感情、感覚を制御することは不可能であることから、かえって注意を増大させることとなり、より一層の不安・緊張を引き起こして苦しくなります。これらを繰り返して、次第に症状が発展していった結果、症状へのとらわれが強くなり、「恥をかいてはいけない」の背後にある「より良く思われたい」という本来の目的を見失うばかりか社会生活にも支障が現れます。以上で述べたように、社会不安障害にも発展しうる神経質の本態に従って、森田療法では、生活全般において、かえって状態を悪化させる不安・緊張、身体症状のやりくりを止め、目的に応じた行動を実践していきます。つまり「不安や緊張があっても、やりたいこと、やるべきことが出来ればよい」という心構え(目的本位)によって、神経質という性格傾向と神経症症状との悪循環を解消し、神経質の人が持つ本来の「より良く生きたい」という欲求を発揮させていこうとするものです。
 

 まとめ

 私は、自律訓練法などを毎日実践しております。後は、ヨガ、たまにウオーキング

太陽の光を浴びる事は、セロトニンを増やすのに有効みたいです。

食生活や、ビタミン不足で自律神経のバランスが崩れ、症状が酷くなるケースもある為

何にせよバランスが大切です❕❕

実践していくには、お薬と行動療法で少しづつ着実に前に進めて社会復帰に近づけていけたらと思います。

強迫

近頃お家時間が無職になって増えた為、猫以上によく寝ています💦そして、最近また筋トレとヨガを再開した為、後からジワジワ筋肉痛がきてて腕と足が重ダルい今日この頃です。

後は、重い出の品を断捨離中です。(※あえて思い出にしておりません

昔は執着心が強かったのですが、ここ数年無くなってきて思い切って過去の古い重い出の品々とお別れしてきました。心の中にいつまでも、残ってる限り永遠なのです。

強迫観念

強迫性障害は、自分でもつまらない事だと分かっていてもその事が頭から離れない不安障害の一種だそうです。分かっているのに何度も同じ事を繰り返すことで、日常生活に影響が生じます。意思に反して頭に浮かんでしまって払いのけられない考えを強迫観念、頭に浮かんだそのことをしないでいられないことを強迫行為といいます。

過去、強迫観念に駆られていた私は、手を洗う、物はゴミでも捨てられない、物の位置が少し変わるだけで落ち着かない。など小さい頃はそんな観念達に囚われていました。

家と学で何かソートー我慢していたのでしょうね。今、思い返せば精神的に疲弊感と閉塞感が強かったです… そして、強迫観念から当時飼っていたペットのハムスターを死なせてしまいました。お世話に神経質になりすぎて、その態度はハムスターにも伝わっていたようで、よく噛まれていました(汗)

ある日、ハムスターが亡くなった時、本当に自分のせいで、"ごめんなさい”と心の中で何度も自責の念に駆られていました。その子達は、近所に住んでいた子から貰った大切な子達だったのに……悔しそうに死んでいったあの子達の顔が忘れられません。

その後よく、ハムスター達が生き返って元気で生きている。という夢を何度もみました。まるで正夢だったかのように「良かったぁ!生きてたぁー。」と思いましたが、目覚めると一気に現実へと引き戻され、なんだ夢か....... となっていました。 

種類

  • ・不潔恐怖と洗浄 汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗い、入浴、洗濯をくりかえすドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない。
  • ・加害恐怖 誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認する。
  • ・確認行為 戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)。
  • ・儀式行為 自分の決めた手順でものごとを行なわないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。
  • ・数字へのこだわり 不吉な数字・幸運な数字に、縁起をかつぐというレベルを超えてこだわる。
  • ・物の配置、対称性などへのこだわり 物の配置に一定のこだわりがあり、必ずそうなっていないと不安になる。
  • これらの症状は過去の私に全て当てはまります💦
  • その行為をしないと落ち着かない!とにかく不安なのです。やらないと何か不吉な事がおきると思い込み自分の気が済むまでその行為をし続けます。
  • 精神的にはクタクタです。
  • ですがやらずにはいられない!それが強迫なのです。

 治療

服薬、カウンセリング、認知行動療法などあります。強迫観念による不安に立ち向かい、やらずにはいられない強迫行為をしないで我慢して少しづつやらなくても大丈夫だ!という気持ちにして不安を解消していくそうです。自分に合ったやり方で、治していきましょう!

 いつかは            

私の場合、ある時を境にして強迫は段々と落ち着いていきました。20を越えた辺りからでしょうか?不思議と物への執着心はいつの間にかマシになっていました。ハムスターの夢も少しづつ減っていき。。。ですが、罪悪感はやはりずっと消えません。それでも、少しづつでも良くなり完治していける病です 病的ではなく良い意味のこだわりで人生に活かしていければ良いと思います。

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普通とは?

  ずっと考えていることがあります。それは、普通。

 一般的

 私自身、普通に憧れます。

私が思う普通は、学校に行き、人間関係もそれなりに築け、スポーツや勉強は平凡、可もなく不可もなしで習い事もしていて、趣味もあって 家族仲もごく一般的でありふれている。

つまり何事にも器用な人これは、私が出来なかった理想の形の普通。

 でも、そういった理想形の人が多く見えて実際は違うのかもしれない。

行き着く先が、結婚や就職で幸せになるか?と聞かれたらそうでもないと思う。

本来は、人間関係を構築するのがド下手で苦手、だから何かあるとすぐ逃げたがる卑怯な性格。その癖、生真面目なのでやゃこしい.…

体力には少しだけ自身がある(くたばるのははやい…)

勉強は、苦手。趣味はない.......

家庭は、一風変わった形で育ってきた為分からない。

よく、自分の家庭が羨ましいと言われた。

自分では、そうも思ってなく恐らく、それこそが普通なのだろう。

私は自分にないものを持つ者に憧れていた。

誰しも、そうだと思う。 羨ましさと恨めしさは表裏一体。 

 なぜ

では何故、普通に憧れ固執するかというと、私の場合 TVやドラマ、アニメや漫画、小説などでそういった普通が描かれている為 焦がれてしまう。

 やっぱ普通は "こう!”だよな…  って

そう言いながら確かめ合いたいのだ。(よかったぁ。自分だけじゃなかったんだと)普通は綺麗、痩せている、仕事や勉強はこれくらい出来て当たり前、家族そろっているなど色眼鏡で人を判断し見てしまう事がある。

この偏った価値観が人間の物の見方を曲げていく。これは良くてこれはダメ! そんなの誰が決めたとゆうのだろうか?(己自身の、固定観念ではないだろうか?)些細な事を、独断で判断し決めつけてしまう。

私も考えが、かなり偏っているから他人の事はいえないが、この偏った物の見方は差別や偏見にも繋がっていく。

私自身、生まれてからずっと固定観念に苦しめられてきた。その中に、普通があった。【こうでなければ普通じゃない!】と思い込み考えすぎ追い詰められ精神は疲弊していった。

では、どうすればいいのだろうか?

物の見方を変える

物のとらえ方は認知の歪みなので、変えていく事で少しはマシに

生きやすくなると思う。

色んな人から大人になって、ゆわれて気づいた事も多々ある。

そう、簡単ではない。恐らく長い道のりになるだろう。

私自身、まだまだ途中だ。

けれど、一歩ずつでもマインドフルに生きたいものだ。

マインドフルネスとは、「『今、この瞬間』を大切にする生き方」のことです。 マインドフルネスの実践方法であるマインドフルネス瞑想は、医療や福祉の現場でも取り入れられています。 


【おためし】マインドフルネス瞑想~3分間の瞑想でストレスを軽減